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忘れられないイランの人々

呉共済病院忠海分院 行 武 正 人

 皆様は「イラン」と聞いて何を連想されますか。遠い国、イスラム教、石油、そしてなんとなくなじめない国と思われるかもしれません。 実際米国はイランを「ならず者国家」と激しく非難しています。そのイランの国の人々にお目にかかるとは思いもよらぬ出来事でした。

 1880年代のイラン・イラク戦争で、イラクのフセインは毒ガスであるイペリットを使いました。そのため沢山のイランの兵隊や市民、 それに山岳民族であるクルド族の人々が犠牲になりました。昨年4月、広島のNPO法人「モ−ストの会」(代表は津谷静子氏、東区津谷隆史医師夫人) はイランに毒ガス被害者を訪ね、その生々しい被害の様子は中国新聞に報告されましたから、お読みになった方も多いと思います。 そして8月6日の平和記念式典に合わせてイランの毒ガス被害者を広島に招かれたのであります。

 8月3日、イランからの一行は広島に到着され、5日には大久野島にもお出でになりました。一行は毒ガス工場跡や毒ガス資料館を見学され、 その時私も少しお話する機会を得ました。しかし私がお話しするよりもその方々のお話の方がはるかに重要でありました。 一行8名のうち5名の方が直接イペリットの被害を受けておられましたが、私が驚いたのはその中の一人は医師であったことです。 語られるイペリットの被害の様子はまことにすさまじいものでありました。私は仕事柄大久野島毒ガス工場の旧従事者からお話は沢山聞いておりましたが、 実際に戦争で使われる毒ガス兵器の恐ろしさは想像を絶するものでありました。お話の途中で激しく咳込まれる方もあり、 またズボンのすそを少しめくってイペリット障害の跡を見せてくださった方もありました。日本に来ることも健康を気遣いながらの長旅であったことがよく分かりました。

 8月8日、広島を去られる日に広島市内で送別の昼食会があり、援助団体の方々とともに私も出席しました。一行の殆どの方は外国に出るのは初めての方でありましたが、 短い広島滞在期間中多くの原爆被爆者や市民と交流され、非常に親密になっておられました。

 閉会の挨拶は「モ−ストの会」の津谷代表がされました。原爆と毒ガス、両方の被害者が市民レベルで交流できた喜びを語られ、あらゆる国の国民が恨みではなく許しあうことが大切だと話されました。 短い間にお互いが家族のように親密になりましたが、日本・イランと遠く離れ、もう会うことはないでしょう。嬉しさと悲しさの中で声涙ともに下るご挨拶が終わり、ただ一人黒衣を身にまとっている婦人と ひしと抱き合われた光景は、まことに感動そのものでした。

 国家とは何でしょうか。国家間には互いに譲れない利害関係や面子があります。しかし一人一人の無名の市民の感情には何の違いもありません。個人はそれぞれの家族と深い愛情で結ばれています。 個人が国家の大義のために家族から引き離されることは人生最大の悲劇であり、その原因は殆どの場合が戦争です。考えてみれば、戦争ほど個人や家族にとって非常なものはないのです。今回、イランと日本、 遠く離れた両国の化学兵器と核兵器の被害者が出会い、熱心に語り合う姿をみて、このような交流こそが庶民外交であり、そこに国と国との対立を解いて行く大きな鍵があると思いました。

(平成17年2月15日広島県医師会速報(第1894)掲載記事採録)



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